いちいち目くじらを立てる

先週もしくは先々週の週刊競馬ブック誌に「競馬はスポーツかギャンブルか」という趣旨の投稿が掲載されてた。投稿者は「そんなものスポーツに決まっている」と書いた上で競馬の魅力を語っていた。でも騎手の駆け引きとか卓越した技術とか言われても乗馬経験がほんの数回しかない私にはさっぱりわからない。筆者は技術的なことを分かっているのだろうか。そもそも我々一般人がやろうと思っても出来ない競技、アマチュアの存在しない競技がスポーツと言えるのか。筆者の問いに対する私の答えは「ギャンブル」になるし、付け加えるなら「予想ゲーム性の高さ」が挙げられる。これだけ予想ファクターの多様性に富んだギャンブルは他にあるまい。また最後に付け加えるとすれば「ロマン」だろうか。馬産も含めた競馬の構造を考慮すると、そう無邪気に「競馬はロマンだ」とはいえないが、他の公営競技には手を出さずに競馬だけをやっている理由を考えるとそういう部分に魅力を感じていることは否定できない。


フラムドパシオンについて。スシトレインのことがあるのでヒヤシンスステークスの人気には半信半疑だったが、あの圧勝劇なら胸を張ってドバイに遠征できるだろう。もし勝つ様ならカネヒキリ以上の快挙だと思う。


ここ最近、久留米にメイドカフェが2軒もオープンした。これってどうなんだろう。こんな田舎にオタがそれほどいるとは思えないのだが。


仕事柄、車に乗る機会が多いのだが、相変わらず障害者用の駐車スペースに車を止めるバカが後を絶たない。しかも悪天候の日に確信犯的に泊めるのだからタチが悪い。ほんの少し想像力を働かせれば、障害者がいかに移動に苦労を伴うか分かるだろうに。


上に類することだが、年配者ほどマナーが悪いと感じることが多い。今日も帰りの電車で乳幼児を抱えた母親が辛そうに立っていたが、目の前の優先席に座っていた中年女性は下を向いたまま無視を決め込んでいた。確かにこの女性は発射時刻のかなり前から列に並んでいた。早くから並んで勝ち得た席なのだから後から乗車してきた者に席を譲りたくない気持ちも分からないではない。でも列車が揺れるたびにバランスを崩している姿を見たらそんな些細な執着心など捨てて快く譲って欲しいものだ。現に斜め前に座っていた部活帰りと思われる高校生は少々疲れている様子ではあったがあっさりと席を譲っていた。


怒りついでにもうひとつ。先日「道の駅」(主に自動車での旅行者向けの休憩施設。トイレ休憩、食事などに利用される)に立ち寄ったときにこと。ここには地元産の野菜や惣菜の直売コーナーがあるのだが、お年寄りや子供連れの家族に混ざって、ある中年女性が商品を物色していた。私が驚いたのはその女性が抱えていたものが、幼児ではなく飼い犬だったのだ。しかも陳列された食品を犬を抱きかかえたまま覗きこんでおり、もう少しで触れてしまいそうなところまで近づいていた。食品を取り扱っている場所に動物を連れてくるなど何事か。さすがにこれには我慢ならずやんわりと注意したところ、「失礼な。いつも綺麗にしている」と反論されてしまった。「いやそんな問題じゃなくて・・・」と言い返しかけたところで、その中年女性の娘と思しき女性が気まずそうな顔をして引っ張るように連れて行ってしまい、それ以上の応酬はなかった。これは偏見かもしれないが、飼い犬を「うちの子」と呼んだり、異常なくらい手入れをしている人ほど周囲に対するデリカシーが欠けているような気がする。